エンパートナーズ五反田店
>
(賃貸)路線・駅から探す
>
JR山手線
> 目黒駅の賃貸物件
目黒駅物件一覧
- 目黒駅情報
- 目黒には私鉄、日本鉄道によって1885年(明治18年)に駅が創設され、国有化後には山手線となって、都心のターミナルとして発展した。
目黒蒲田電鉄はここに都心の側のターミナルを求め、国鉄の駅に隣接して頭端式の2面3線のホームが設けられた。
当時は1番線が本線用、2番線が区間列車用、3番線が臨時列車と荷物電車用と使い分けられていたというから、輸送需要に対応する十分な規模が備わっていたことになります。
戦後の1953年(昭和28年)には2階建ての駅ビルが完成、1967年(昭和42年)にはホームが延伸されて、3番線が廃止され、東急の目黒駅はこの姿の時代が長く続きました。
その後1997年(平成9年)7月27日、東急の駅は地下化され、2000年(平成12年)8月6日の系統分離で目蒲線から目黒線の起点駅となりました。
同年9月26日、目黒線と南北線、三田線と相互直通運転が開始されています。
現在は東急が管轄する共同使用駅となり、地下4階に島式ホーム1面2線が設けられています。
目黒駅は品川線の開通から半月ほど遅れた明治18年(1885年)3月16日に開業しましたが、なぜ少し遅れたのかは定かではないそうです。
ただ、最初の駅は現在よりももっと南側にあり、明治23年(1890年)頃に今の位置に移転したといいます。最初は目黒村にあったものが、移転して大崎村になり、昭和7年(1932年)の市域拡張の際に大崎村が品川区に編入されたため、”品川区にある目黒駅”ができあがったとされています。
目黒の由来は、真っ先に思い浮かぶのが目黒不動に因むというものですが、目黒・目白・目赤などという名で呼ばれるようになったのは江戸時代の事であるといわれ、地名の方が先にあったようです。
また、一説によれば、この周辺には今でも「駒場」「駒沢」など馬に関すると思われる地名があるように、古代には官牧・私牧が置かれていた可能性があり、それらの牧場の周りに畔道=馬畔(めぐろ)がつくられて、それが村名になったともいわれています。
恵比寿方面へ約200m歩いたところに優美なアーチを描く橋が架かっています。
昭和元年(1926年)に開通した「白金桟道橋」です。古レールを利用した上路固定リブアーチ桁橋で、近代土木遺産としても注目されています。
さらに300mほど進むと、山手貨物線の長者丸踏切があります。この踏切は山手線の電車からは見えず、自動車も通行できないため知る人ぞ知る存在でしたが、湘南新宿ラインの開通以来、目にする人も増えたんでしょうか…あのタモリ倶楽部にも紹介されたことがあります。
平成22年(2010年)に、目黒駅と恵比寿駅の2駅において、山手線内で先行してホームドアの使用が始まりました。(恵比寿は6月26日、目黒駅は8月28日)
ただし、この時にはまだ7・10号車に6扉車が連結されており、当該車両の部分は稼働していませんでした。

- 沿線
- 目黒駅
- 賃料
- 下限なし~上限なし
- 面積
- 下限なし~上限なし
- 築年数
- 指定しない
- 駅徒歩
- 指定しない
- 間取り
- 指定なし
- 設備条件
-
指定なし